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VOL.21-11  2019年11月

  「サンゴ洲島 ハテノハマ

長谷川 均

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 那覇の西方約90kmにある久米島は、火成岩からなる島の基盤の周辺を隆起した石灰岩が縁取るいわゆる「高島」と分類される島である。この島の東方には、釣り針を横にしたような平面形の隆起サンゴ礁が形成されておりその内側に一段低い隆起したサンゴ礁が形成されている。この一段低い隆起礁の上には、サンゴ砂が堆積し「サンゴ洲島 ハテノハマ」が形成されている。この洲島の高度はきわめて低いので、堆積物は潮汐や波浪で簡単に移動する。久米島のある沖縄近海は台風の通り道にあるから、この洲島はその形状を頻繁に、大きく変化させる。洲島の南岸には「ビーチロック」が形成されている部分があり、ここではビーチロックが波浪を弱めるため比較的海岸線は変化しにくくなっている。
 筆者は、大学院生時代の1980年代のはじめ頃、久米島に長期滞在していた。1983年の晩夏、やはり島に滞在しておられた経済地理学者の故鴨澤巌先生が船を雇って島を一周してみようとおっしゃる。院生には傭船代など用意できるはずもないからここぞとばかりにお供した。そのときの船頭さんは仲里村に住んでおられた桃原(とうばら)さんという老人で、用心深く洲島に接岸し遊ばせてくれた。そのとき伺った話から、その後私は洲島の変化に関する論文を書くことになるのだから、どこにテーマが転がっているかわからない。この論文は日本で初めて洲島の地形変化を論じた論文となった。
 それから30年以上たって、数年前に筆者は潤沢な研究費を持つ生物学者や地形学者に誘われて再びこの洲島の研究にかり出されることになった。いまここでは、日本を代表するサンゴ礁研究者やオーストラリアの研究者達が集まる場所となった。ありがたい話でもあり、歳を感じる出来事でもある。
 
 
<写真1>  ハテノハマ洲島の東部  当時飛んでいたYS11のプロペラが見える  1987年
 <写真2> ハテノハマ洲島の西部  1987年  
 
<写真3> 標的の島 残骸
この洲島は、戦後の一時期米軍の訓練地としても使われた。戦闘機の機銃掃射ターゲットを設置した支柱が今でも残っている。少し前まで、この周辺では機関銃の薬莢らしい金属がたくさん転がっていた。2019年2月
<写真4> ビーチロックが海岸線を守る
洲島の南岸に沿ってのびるビーチロック。1986年。
 
   
   

<写真5>  洲島の景観
写真の学生(1986年当時)は沖縄出身のK君で、その後沖縄の銀行に就職した。お元気でしょうか?  

 <写真6> ドローンで作る詳細地形図
ここ2、3年、筆者は若い人に手伝ってもらってドローンや衛星画像を使った詳細な地形図を作っている。RTK(リアルタイムキネマティックGPS(Real Time Kinematic GPS))なども使った詳細な測量は、30年前には考えられなかった技術である。2019年
 
   
 <写真1〜6:長谷川均 撮影>  
   

                                              

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